昭和44年12月16日 夜の御理解
私が下がる昼下がる一時間位前だったでしょうか。あそこで7・8人の方達が御理解頂いておられましてちょうどあの、森部の高山さん達が又親子、孫6、7人一緒に参っておられました。そこへ又、今度はあの、野口さんがお参りして来ました。それから、高山さん達は、もうお届けを終わって、御理解を頂いて帰られる、野口さん達がみえる。それで野さん、ここでお届けをすましてから御理解頂こうとしたところが。
その鞄がないっち言う訳です(笑)、ね。皆さんからあのデパートに帰り寄りしてから買い物してくれと言って、まとまった金を扱っておられる、それを入れておられる。定期券も入れておられる。そして参りが多かったもんですから、ね。丁度その時がけれども、今帰ったのは確か高山さん達やったから、高山さんがひょっとして下げていったんじゃなかろうかと思うて(笑)あちらすぐ光昭が電話かけよりました。
そしたらあのおもう掛け終わったらまたあの、その高山さんがそのこうやってから鞄を下げて持っておる。同じ物ですよそれがあんた孫どんが沢山来て、これは婆ちゃんのちて思ってから持っていっておる(笑)まあそれだけの事ですけれどもですね。私しはあの丁度今日は高山さんは、一番下の娘さんが盲腸の手術をするという、お届けで来とりました。それからその中田主丸の病院まで行ってから、あの人の鞄があるとば見て。
中身を見た所が野口さんのだから慌てて持って来て。まあおかげ頂いた訳なんですけどそういう場合ですね。あたくしは思いましたですね。特別なお願がある時には、一遍参りよりも、2遍参り、神様がさせなさるなあ、という事ですよ。だからその時ねただ鞄をまた戻しに来たっというのではなくてそこに、高山さんが感じらなければならん事がね。今日は今しがたそのそういう、まあいうならばですね。
まあ盲腸ぐらいと言いますけど、やっぱ腹を切る事ですから。間違いがあったら何ですか。ほんとに一遍参りよりも二遍参り。おかげでこれ、二度お参りが出来ました、と言った様なお参りに気付かないけんと思います。そういう所に私共そういう事は、やっぱりありますよ。そういう時にはね。あたくしあのいつも思うんですけれどもね。ほんっとにこのあたくしいっぺん。
関さんの車で善導寺にお参りさせて頂いて、そのぉ正面ば出たのと来たのと一緒で、あわや衝突せんばっかりで少しかすった事があったんです。そん時が私が慌ててですね、ここでお礼していくとを怠ってです、すぐあれに乗ったんです。だから私が何時もの様にねえ、何時もの様にちょいとその、ここで必ずほんとに出ていく時は、必ずご祈念していきます。それにその時だけしなかった事がですね。
それが間違いになってくるとですからね。もうほんっとにあの、おかげを落とすとか、何とかこちらがちょっとした狂いですよやはり。だからあたくし共はですねそしてなら思います事ですたいね。ならあのお御祈念をしお願をし、そして起きた事ならね。これは神様の御都合だと私は思っていいと思います。けれどもそれをおこたってはあ何時もの様に、御祈念して行とったらまあ何分間の事で。
こういう事にはならなかっただろうという風にね。事分からして頂く時以来、私はもうどこまで出るでも必ず一遍ここで、あの神様に簡単に今からやらせて頂きます。と言うて、道中の事また帰りの事と、ね。ごうてしか行きませんですがね。ですからそういうあの心がけと、同時に今高山さんのその例じゃないですけれども。
今日はこんなに大変な御願いをしておるのであるから、あぁ神様がやはり行き戻りお百度踏まして下さるようにですね。また御参りさせて下さったんだと、こういうふうに気付いての御参りだったら、いうなら孫が持って行っとった事もまた行ったり、来たりした事も、決して無駄にならんという事になりましょうが。そういう心がけが、信心に必要であると思いますね。
どうぞ。